黒田荘と悪党(名張市黒田)

黒田荘は、平安から室町時代に営まれた東大寺の大荘園で、開墾を進めるなかで周辺との利害関係による争いが現地の杣工を山岳戦の戦士集団へと変貌させ、東大寺の支配力も現地から成長してきた武士の力を抑えることができなくなっていきます。(悪党の発生)悪党達は、やがて現地小領主として伊賀国人衆と呼ばれる土豪となり、荘園は名目的には東大寺の領地として、しかしその実態は現地の土豪たちの連合勢力に支配されていました。

中世城館

奈良時代以降、伊賀には東大寺や興福寺の荘園が数多くありました。しかし中世鎌倉時代以降武家社会が隆盛になると、次第に名主や郎党が武装化し、伊賀国衆と呼ばれた土豪が荘園を支配するようになりました。戦国時代に至っても伊賀一国を支配する領主は現れず、群雄割拠の自治連合が形成されていました。彼ら土豪は自領支配のために館を構え、周囲を土塁で囲み堀を廻らせていました。平地に構築する場合と山頂や山腹を切開いて幾重にも郭を廻らせる場合があり、いずれも日頃は住居でいざ戦闘の時には城として機能し「城館(じょうかん)」と呼ばれています。大規模のものでは「天正伊賀乱」で主戦場となった「比自山(ひじやま)城」、上忍の館跡とされる「百地丹波城(百地砦)」「千賀地(ちがち)氏(服部氏)城」「藤林長門守城」などが残されています。また「竹島氏城」や幕末最後の忍者と言われる「沢村氏城」には土塁や屋敷構えも残されている。

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